1995年不安社会の始まり
1995年(15年前)、日本人の意識を大きく変える出来事が2つありました、「阪神淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」です。この95年の2つの出来事から、日本の「不安社会」が始まったと言われています。
それまで日本人は、戦争でも起きない限り、同時に多数の人が死亡するということは考えたこともありませんでした、「死」というものは病気や交通事故等がない限り、自分とは無関係なところにあるものと思っていました。しかし、2つの出来事により、「死」というものが身近なものになり、普通に暮らしていても自分の身にふりかかってくるものだという意識が植えつけられました。
1990年(20年前)にバブルが崩壊し、漠然とした不安が世の中に広まる中で起きた2つの出来事により、「不安社会」が始まりました。
そして、この「不安社会」は、その後あらゆる方面でさらに進んでいきます。
大企業がたった一つの不祥事で倒産に追い込まれるということが、何件も起きました。企業や一定規模以上の会社に就職すれば、定年まで仕事があり倒産や解雇の心配は無い、と普通に暮らす多くの人が思っていましたが、その「安心」は崩壊しました。
公務員の世界でも、民営化・再編がつづき北海道夕張市や社会保険庁のように、公務員は定年まで職場が無くなることはない、親方日の丸、という「安心」も崩壊しました。
大人の「不安」な社会を写すように子供の社会においても、以前は、いじめにあう子供は一部に限られており、それ以外の子供は自分とは無関係と思っていましたが、ちょっとした出来事で誰でもターゲット(いじめの対象)になるようになりました。どの子供もいつ自分がターゲットになるか分からない、という「不安」を持つようになりました。
犯罪は、貧困・怨恨という理由だけでなく、むしゃくしゃするから・世の中がおもしろくないからという理由の無差別殺人へと進みました。普通に暮らしている誰もが被害者となるかもしれないという「不安な社会」になりました。そして無差別殺人の対象は子供にもむかい、学校・通学路・公園も安全な場所ではなくなり、親は常に「自分の子供が被害者になるのでは」という「不安」を持つようになりました。
以前の日本では、「水と安全はただ(無料)」と言われましたが、「水」も「安全」もお金を払わなければ、手に入らないものとなりました。
また、1995年は、ウインドウズ95が発売された年です。ウインドウズ3.1の発売により、パソコンが一般家庭に広まる萌芽をみせ、ウインドウズ95により一気に一般家庭にもパソコンが広まりました。パソコンは現在の暮らしには欠かせないものとなりましたが、負の要素ももたらしました。
パソコンの広まりにより職場環境は激変しました、多くの労働者に精神的負荷をもたらすようにもなりました。子供の世界でも、テレビ・ゲームよりもさらに影響が強いインターネットが普及しました。
このウインドウズ95の発売以降のパソコン及び携帯電話の普及により、「不安社会」は、より早くより増幅され広まるようになりました。
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